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She STORY

自称「田舎から出てきた女子」 誰にも執着せず、自分の夢に忠実に~ 张 梦蕊

始まりは元彼が韓国系日本人だったから。

独学で韓国語を学び、韓国へ公費留学。

その後、彼を追って日本に留学し、就職。

結局は別の男性と結婚するが、離婚。

一見、男性に依存する恋愛脳かと思いきや。。。

実際はそうではなく、誰にも執着せず、自分の夢に忠実な彼女がそこにいました。

結婚と離婚:男性に束縛されない、誰にも依存しない。

Q:日本に来る前に韓国への公費留学、社会人経験もあるんですよね?

A:元カレが韓国人だったので(笑)。 大学に入ってから独学で韓国語の勉強を始め、2年生のとき、交換留学で来ていた韓国人の彼氏と出会いました。

3年生の時、学校の外国語学部に韓国留学プログラムがあることを知りました。外国語学部の学生たちが志願している中、独学の私がその選考に受かりました。

その後、韓国で1年半勉強と仕事をし、ある程度の経験を積んだ後、北京に戻って働くことにしました。

韓国留学で働いていた時期

Q:なぜその後、日本に来ることを選んだのですか?

A:大学2年生の時に出会った彼氏が日本に居たからです。彼は韓国系日本人で、私が21~28歳の7年付き合っていました。

付き合っている間に結婚も考えましたが、交際中のほとんどが遠距離でした。2019年に日本に留学に行き、彼と一緒に過ごすつもりでした。

しかし、パンデミックのために留学が遅れ、2022年4月にようやく日本に行きました。実際に彼に会ってみると、それまでフィルターがかかっていたことに気づき、すっかり冷めてしまいました。

彼と別れるのに時間はかからず、私はくよくよせずにすぐに引っ越しました。 当時はとても落ち込みました。なぜなら、私が日本に来たのは彼と一緒になるためだったのですから。

Q:感情にコントロールされない姿に感動しました。

A:私は人間関係にだらしないタイプではありません。実際、私は3ヶ月前に離婚したばかりです。

元カレと別れ半年ほど経った頃、私は元夫と出会いました。約1年間交際し、結婚しました。

23年9月に私たちは、元夫の両親に挨拶するために中国に戻りました。元夫の両親は私を嫌いました。また、田舎暮らしの人付き合いは難しく、私の悪口を言い始めました。

その時、元夫は私を一切庇おうとはしてくれませんでした。 9月末に日本に帰って、すぐに一人で家を探し始め、12月に離婚しました。

7年間の恋愛や短い結婚生活を経て、結婚という固定概念を打ち破り、今は誰の世話になることもなく、好きなことをして一人で暮らしています。とても快適で幸せを感じます。

これまで、私自身が自立し、落ち着いて人生の選択をできたことは私に自身を与えました。

私は愛を信じていますが、決して恋愛脳ではありません。そして、私は決して男性に束縛されません。

後戻りはしない:ここから出て、もっと広い世界を見る

Q:あなたの考え方は、とてもはっきりしています。 あなたの生い立ちについて聞きたいのですが、ご両親はいつもあなたの選択を尊重してくれましたか?

Aそうですね。私の家族は私の決断に影響を与えることはなく、私は自由奔放に育ちました。 私は河北省保定市出身で、経歴も家柄も資産もなく、上に兄がいるだけです。

両親はともに田舎出身ですが、限られた知識の中で私を最大限サポートしてくれました。

私は93年に生まれ、周りにはまだ勉強ができない子供たちがたくさんいる中、私は学校ではトップの成績でした。しかし両親は私の成績など気にする時間もありませんでした。

私の家は小さな自営業をしており、私は小学校3年生から家族のために料理をしていました。

両親は私が寂しがらないようにといつもお小遣いをくれました。

夕暮れのふるさとの道

校1、2年のときは常に上位のクラスで、高校3年のときに1番になりました。私はもっといい大学、もっと大きな街に行きたいと思い、美大生の道を歩むことにしました。

母は私に、”何をやっても応援するから!”とお金も用意してくれました。結果、私は希望通り北京の有名大学に合格しました。

Q.:高校時代から「もっといい大学! もっと大きな都市へ!」と志し、そして、あなたは河北から北京、ソウル、東京へと、着実に夢を叶えてきましたね。

A:コロナの流行で出国が遅れたため、2021年の空白期間に故郷の大手郷鎮企業に面接に行きました。その時、人事は私の履歴書を見て、”あなたは28歳で、そろそろ結婚する時期ではありませんか? “と。

私は少し見下された気分でしたが、田舎町ではこれが普通なのです。他者との明確な境界線がなく、誰もが他人の人生に口を出したがります。特に女性に対して。

私は自分の故郷が嫌いになり、「ここを出て、もっと大きなところに行こう」と決心しました。

実家での梦蕊さん

ソウルにいた頃は、公費で勉強しながら、アルバイトや買い物代行もして、経済的に自立できました。やる気があるからこそ、周りから「すごい」と思われるのかもしれませんが、自分ではあまり「すごい」とは思っていません。

支えてくれる家族がいない分、自立するのは難しいと思います。 今、”北から南へ逃げる”という時代の流れがありますが、家族の支えがない人にとっては、田舎よりも大都会の方がサバイバルだと思います。

中国、日本、韓国:期待するもがっかりして帰る

Q:中国、日本、韓国の3カ国の生活をどう見ていますか?

A:中国の仕事は忙しいし、韓国は外国人に対する包容力が足りないと感じました。しかし、現在の日本の生活は気に入っています。

以前は北京のインターネット会社に勤めていて、給料は今より高かったけれど、とても忙しくてストレスがたりました。朝9時半に出勤して夜9時半に退社するという毎日でした。物欲の少ない私にとっては、今の日本の暮らしはとても良い生活です。

日本で仕事をしている梦蕊さん

私はとても社交的な人間で、外に出ないと息苦しくなるくらいです(笑)。 小红书で友達もたくさんできたし、気の合う友達もすぐにできました。みんなすごくまっすぐで、話も面白いです。

Q:これから日本に来る予定の女性に伝えたいことは?

A:私はお金を貯めるのが好きな方ではなく、2022年に来日する際、持ってきたお金は11万元(約220万円)だけでした。それは長年仕事で貯めたお金と、確定拠出年金から引き出したお金だけでした。ビザにかかった費用は、4万元の退職金で払いました。

来日を予定していた2019年から、コロナが落ち着いた2022年までの3年間は暗闇の中を歩いていたようでしたが、決して私の考えが揺らぐことはありませんでした。

小红书には、よく「日本に行きたいけど……」とメッセージをくれる人がいます。 移住したいけど、怖くてできない人が多いみたいです。

私はいつも「どこに行っても浮いてしまう田舎者だから、そんなに心配することはない」と自分に言い聞かせながら、目標に向かってまっすぐ走っています。 大金は持っていないけど、いざというときのためのお金は持っているから、慌てることはありません。

また、右往左往する内なる葛藤に時間を費やすのはやめてほしい。

もう先に進んだのだから、また先に進もう、ダメだったら話し合おう、先に進んで、ダメだったら戻ろう!

NUESEの言葉

彼女は、不安は「比較すること、できないこと」から生まれると言う。

彼女は他人の人生を羨むことはない。

車、家、結婚、子供は彼女の目標ではなく、

彼女は、自分は「どこに行っても浮いてしまう田舎者」だと言った。

しかし、彼女は実際、「身体は波に浮いているようで、心は碇のようにしっかりと海底に固定されている」。

彼女は自分を理解し、他人に影響されにくい。

彼女は今後の人生についてこう言った、

「もし日本に飽きたら、次は欧米諸国を経験してみたい。」

仕事の合間を縫って、英語の勉強と受験勉強に励んでいる。

インタビューも終わりに近づいた頃、彼女の飼い猫が駆け寄ってきた。

彼女は猫をじゃらしながら笑顔で言った:

“こんな生活もいいものですね!”

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