
Shirley
2018年10月 国内大手インターネット企業 セキュリティ部門
2018年12月 来日し、物流会社に入社
2022年6月 コンサルティング会社に入社
北京から日本へ
未知の環境に踏み出す好奇心と、
自己成長への渇望を胸に。
言葉、文化、職場ルールの壁にぶつかりながらも、
試行錯誤を重ねて前へと進んできた。
子育てとキャリアの両立、
興味と責任のあいだで揺れながら、
彼女は少しずつ「舵の取り方」を学んでいった。
ゼロから日本語を身につけ、コンサルタントへ。
漂泊する個から、家庭という港へ。
彼女は自分なりの航海図を描き続けている。

出航の旅:国内職場から日本への異文化挑戦
Q:まずは自己紹介をお願いします。
A: 日本に来て、もう7年になります。大学を卒業してからは中国国内で情報セキュリティ関連の仕事をしていました。実は当時、日本語は全く話せなかったのですが、それでも日本で新しいキャリアを積んでみたいと思い、渡日を決めました。現在は外資系のコンサルタントとして、日本企業に対して提案や助言を行っています。
いまの業務は以前の情報セキュリティとは直接の関係はありませんが、案件の多くは中国に関わっています。日本企業は中国の技術や新しい製品開発の成果に強い関心を持っており、私はその橋渡し役を担っています。優れた文化や製品を日中間で結びつけること、それが自分の仕事の大きな意味だと感じています。
家庭では二人の子どもがいて、上の子は幼稚園、下の子は保育園に通っています。育児と両立しながら、安定した時間を確保してコンサルティング業務に取り組んでいます。
Q:現在のお仕事について、もう少し詳しく伺えますか。
A: コンサル業界に入ったばかりの頃は、医療機器開発に関わるプロジェクトに携わりました。案件やクライアントによって求められる知識が違うので、毎回新しいことを学ぶ必要があります。
今年は大手物流会社のプロジェクトに参加し、今後は大手商社の案件を担当する予定です。業界ごとに必要な知識が変わるため、常に学習意欲が問われる仕事ですね。医療機器の新製品開発ではPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)の一員として、進行管理や推進のサポートを行いました。

異文化の航路:言語と文化の壁を越えて
Q:最初に日本の物流会社の社長と出会った経緯、そして日本で働こうと決めた理由を教えてください。
A: 初めて出会ったのは展示会でした。その会社がちょうど情報セキュリティ体制の強化を進めていて、私の経歴と重なっていました。驚いたのは、社長の中国語力でした。ジョークや噂話までも母語のように話せるので、「本当に日本人なの?」と思ったほどです。
社長は私の専門スキルだけでなく、コミュニケーション能力も評価してくださり、情報セキュリティ関連の仕事を任せたいと声をかけてくれました。そのとき「自分の価値が認められた」と実感し、日本に行く決心をしました。お金よりも、その「認められる感覚」が大きかったのだと思います。
当時、日本語は全く話せませんでしたが、「英語ができれば何とかなるだろう」と楽観的に考えていました。そうしてゼロからのスタートで日本にやって来たんです。
Q:来日後、最も大変だったことは?そしてそれをどう乗り越えましたか。
A: 言語は確かに大きな壁でしたが、それ以上に文化の違いや人間関係に苦労しました。
同僚たちは母語の強みだけでなく、日本独特の職場文化や経験を積んでいます。私は中国的な思考や学生的な心構えのまま職場に入ったので、最初はなかなか馴染めませんでした。
入社直後、社長室に配属され、全社的な情報セキュリティプロジェクトを任されました。社長は各部署を紹介して協力を依頼してくれましたが、20〜30年勤めているベテラン社員からすれば、外国人の新人が中心的な仕事を担うことへの抵抗感は強かったと思います。そのため、摩擦やプレッシャーも多かったですね。
その経験から学んだのは、専門知識だけでは十分ではないということ。日本の職場では、時間をかけて信頼を築く「ソフトスキル」がとても重要です。その思いが、私がコンサル業界に進んだ理由の一つでもあります。多様なクライアントと関わることで、日本の職場文化や礼儀、そして「空気を読む力」を磨きたいと思ったんです。
Q:職場でどのように成長していきましたか?
A: 日本に来たばかりの頃は、まさに手探りで「自分の働き方」を模索していました。そんな中で意識してきたモットーは、「まずは安定、そして驚き」です。まずは基盤となる仕事をきちんとやり遂げ、そのうえでプラスアルファを加える。そうすることで、同僚や上司に良い意味での驚きを提供できるのではないか、と考えています。
私にとって仕事は、生活の糧であるだけでなく、自己価値を実現する場でもあります。挑戦や摩擦は避けられませんが、それを「成長の一部」と受け止めることで前に進めるようになりました。
そして、日本の職場で痛感したのは、信頼を築くうえで欠かせないのは「誠実さ」だということです。長期的な関係を保つには、誠実に向き合う姿勢が不可欠です。自分の個性や価値観を隠さず伝えることで、同僚からの理解も得やすくなります。
苦手な部分は素直に共有し、協力して解決に向かう。そうした積み重ねの中で、少しずつ自信が育ち、同時に他者からの信頼も自然と得られるようになったと感じています。

Q:北京で育ち、日本で働くようになった経験が、あなたの性格や人生観にどのような影響を与えましたか?
A: 来日は、私にとって特別で刺激的な冒険でした。私は生粋の北京っ子で、20年以上ほとんど北京から出たことがありません。両親はとても過保護で、一人で遠出することもなく、自由な経験は限られていました。
幼少期は祖父母に育てられ、両親との交流は最小限。物質的には不自由なく育ちましたが、心の支えや深い対話は少なく、どこか満たされない思いを抱えていました。そのせいか、若い頃は恋愛に依存しやすく、感情が安定すると「幸せはすべて相手次第」と思い込んでしまう。けれども、相手の一言で簡単に揺らぐ小舟のようで、何度も傷つきました。
そんな経験を重ねるうちに、「自分で舵を取らなければ危うい」と痛感するようになりました。日本に来て初めて、社会の現実や挑戦に真正面から向き合い、広い海の中でどう進むかを自分自身で考えるようになったのです。この経験が、私の人生観を大きく変えました。
今では、他者に委ねるのではなく、自らの足で立ち、自分の手で舵を握る――その意識こそが、私を支える軸になっています。
Q:日本で働く中国人女性として、職場で不適応を感じたことはありますか?
A:日本の職場に入った当初、正直いくつか戸惑うことがありました。日本の同僚は思っていた以上に率直で、能力を認められればすぐに受け入れてもらえますが、逆にそうでなければその距離感や冷たさもはっきり表に出ます。
多くの中国人女性は能力が高い一方で、文化的背景もあって性格は比較的控えめです。そのため自分を積極的にアピールするのに慣れていない人も多く、職場に入ったばかりの頃は過度に謙虚になってしまったり、自信なさそうに見えてしまうことがあります。その結果、周囲から「この人は本当に任せられるのか?」と誤解されやすいのです。
私自身も、産休から復帰して新しいプロジェクトを担当したときに、似たような経験をしました。ある新しい同僚は、最初の一週間ほどとても冷淡で、「二人の子どもを育てながら、果たして全力で仕事に向き合えるのか」と観察していたのだと思います。ところが昨日、その同僚から突然「本当にすごいね!」と言われ、さらに「ぜひ大手商社の案件に推薦したい」とまで言ってくれました。その言葉は私にとって大きな励みになりました。
もちろん、若い同僚の中には私のやり方に完全には共感しない人もいます。でも、それはごく自然なこと。誰もが違う経験や価値観を持っていて、全員に認められることはあり得ません。
大切なのは、「なぜこの人はこういう態度を取るのだろう」と一歩引いて相手の背景を考えてみることだと思います。被害者意識にとらわれず、観察や理解に切り替えることで、自分自身もずっと楽になれると感じています。

家庭の帆:原家族と子育ての交差点
Q:ご自身の原家族が、人生にどのような影響を与えたと思いますか?
A: 母親になった今、よく考えるんです。子どもたちが大きくなったとき、「私はあなたにこう育てられた」と言うのだろうか、と。もしかすると、私が両親をどう見ているよりも、子どもたちはもっと厳しい目で私を評価するかもしれません。
私の両親は70年代生まれで、中国の大きな社会変化の中を懸命に生きてきました。その時代ならではの限界や大変さもありましたが、その環境のもとで私は育ちました。30代になった今、振り返ると「目に見えない運命の手」が私の経験を一つひとつ導き、今の自分をつくってきたように思います。そのことに感謝していますし、これからその「手」がどういう道を示してくれるのか、楽しみでもあります。
子どものころの私は、祖父母に育てられ、両親と過ごす時間が少なかったために、誰かに愛されたい、気にかけてもらいたいという気持ちが強かったんです。だから恋愛に夢を重ね、童話のように「王子様とお姫様がずっと幸せに暮らす」ことを本気で信じていました。でも実際には、人の心は思い通りにはいかないもの。強く求めるほど得られないことも多い、と学びました。
恋愛で傷ついた経験はつらかったですが、そこから大きく成長できたと思っています。むしろ、苦しみのない人生は本当に豊かといえるのか、とさえ感じます。私にとって人生の意味は「経験すること」そのものにあります。体は一時的な器であり、魂は試練を通して自分を知り、少しずつ成長していく――そんなふうに考えるようになりました。
日々の中では、あえて立ち止まり、自分を振り返る時間を大事にしています。そのときは「母」や「妻」といった役割を一度脇に置き、ひとりの人間として自分を見つめるようにしています。――私は何を望んでいるのか、どう生きれば悔いが残らないのか。そう問いかけながら、少しずつ答えを探しているところです。
Q:ご家庭の中で、最も影響を受けた方は誰ですか?
A: 私に最も大きな影響を与えたのは、祖母です。祖母は地主の家に生まれ、教養があり、有能な人です。結婚後は、家計の大部分を一手に支え、子どもを育てながら私の面倒も見てくれました。晩年には二度もがんを患い、苦しい闘病生活を送りました。あるとき祖母は私にこう問いかけました。「私は良い人間なのに、なぜこんなに苦しまなければならないの?」。当時の私はまだ幼く、答えることはできませんでしたが、その言葉はずっと心に残っています。
十年前、日本に来る前、祖父母は相次いで亡くなり、私は最も頼りにしていた存在を失いました。両親との関係もあまり近くなく、その時期、私は人生の“根”を伴侶に求めていました。しかし、恋愛に問題が生じると、途端に不安に襲われ、孤立無援の心境に陥っていました。
自分が母親になって初めて、人生の根は自分の足元にあることを理解しました。かつての私は、まるで小舟のように波に流されていた存在でした。しかし今は、その小舟には二人の子どもが乗っており、私の人生は彼らと深く結びついています。私は自らの手で、しっかりとした大きな船を作り、彼らを乗せて穏やかな海へと導かなければならない――そう強く思っています。
Q:お子さん二人はどのような性格ですか?
A: 二人の子どもに出会えたことは、私にとって本当に幸運だと感じています。子育てを通して、自分がかつて抱えていた心残りや不足感も少しずつ埋めることができました。
長男は非常に活発で、好奇心と探究心が強い性格です。小さい頃から手先が器用で、さまざまな複雑なおもちゃ、例えば変形ロボットなどに夢中になり、分解したり組み立てたりして楽しんでいます。物事の仕組みを徹底的に知ろうとするその姿勢を見ると、まるで生まれながらの“小さなエンジニア”のように感じられ、母として心から誇らしく思います。
一方、長女は明るく可愛らしい性格で、言語能力が非常に高いです。二歳の頃には、私が話した言葉を正確に真似できるほどで、中国語でも日本語でもすぐに覚えてしまいます。まるで小さなリピーターのように、私の言葉を忠実に再現する姿から、彼女の未来には無限の可能性があると感じています。私の願いは、彼女が私よりもたくましく、より広く自由な人生を歩むことです。
兄妹は性格が異なりますが、どちらも私に計り知れない喜びと力を与えてくれます。二人とともに成長する時間の中で、かつての自分の影も見つめ直すことができ、母として、そして一人の人間として、より満たされた自分を感じられるようになりました。
Q:母親になってから、生活や心境にはどのような変化がありましたか?
A: 母親になって、私の生活は大きく変わりました。今、私の「船」には長男と長女が乗っており、彼らの未来を支えることが私の責任であり、価値でもあります。私は彼らのためにしっかりとした“大きな船”を作り、穏やかな海を進めるよう導きたいと思っています。
かつては自分ひとりで流れに任せて生活し、物質的な欲や未来へのこだわりもあまりありませんでした。しかし今は違います。子どもたちをどの高さまで支えられるかを考え、将来、彼らが私の肩を踏み台にさらに上を目指せるよう願っています。
夫との関係は、外から見るとロマンチックでも完璧でもないかもしれません。彼は非常に実務的で、家庭の物質的基盤――家や車、経済的安定――を重視します。感情面での細やかな反応や、深い魂の交流は少ないかもしれません。しかし、この一見不釣り合いな関係が、私に最も大切な教訓を教えてくれました。それは「自分で自分を支える力」です。
私は徐々に外に感情の支えを求めることをやめ、子どもの教育、自分のキャリア、そして自己の内面を磨くことに力を注ぐようになりました。かつてはすべての幸福を他人に依存していた“恋愛脳”でしたが、今は自分と子どもたちのために舵を取り、家族を守る“船長”として生きています。心境は落ち着き、目標も明確です。虚ろなロマンスに心を奪われることはなく、どのように安定して舵を取り、子どもと未来を乗せた船を安全に進めるかに集中しています。

航海の指針:挑戦の中で前進の力を見つける
Q:職場復帰はいつでしたか?復帰後の変化は?
A: 次女が二歳を過ぎた今年5月に職場に復帰しました。産休前と比べて、会社はリーダー層の入れ替えや部門規模の調整など、再成長の過程にありました。嬉しかったのは、私が2年間の産休を取ったことによる不利益や差別は一切なく、同僚や上司も二人の子どもの育児事情を理解し、協力してくれたことです。この支えに感動し、より良い働きぶりで会社に応えたいという気持ちが強まりました。
Q:日本で働く、あるいは転職を考えている女性へのアドバイスは?
A: ここ数年、中国の職場環境は大きく変化し、高収入のポジションでは年収が数百万元に達することもあります。一方、日本で同等の収入を得るのは容易ではなく、多くの人の年収は1000万円前後です。選択をする前に、両国の給与体系の違いを理解することが重要です。
日本の職場はワークライフバランスに優れ、長時間の拘束は少なく、家庭や個人生活との両立がしやすいという利点があります。しかし、ルールが厳格で、階層や文化の違いがあるため、事前に理解し、適応することが大切です。まずルールを尊重し順応することで、少しずつ能力を示し、同僚からの信頼を得られます。
どこで働くにしても重要なのは、仕事そのものを楽しみ、無駄な内耗を避けることです。限られたエネルギーを自己成長に向け、仕事を価値ある経験として活用すること。これが、仕事に時間と力を注ぐ意義を生みます。
Q:新卒者へのアドバイスはありますか?
A: 新卒のうちは、できるだけ大きな会社や優れたプラットフォームを選ぶことを強くお勧めします。最初の2~3年は将来の方向性を左右する重要な時期です。大企業では優秀な人材やリソースに触れ、規範的な業務フローや高度なスキルを学べます。この経験は、昇進、転職、起業など、後の選択肢を広げる土台になります。
職場に入ったばかりの頃は、仕事と人間関係のバランスをどう取るか分からないことも多いです。会議で観察や考察を重ねる、事前にコミュニケーションスキルを学ぶなど、些細な工夫で後のトラブルを避けられます。中国から来日した場合は、言語だけでなく日本独特の職場文化を理解し、適応することが重要です。
高給与の中小企業も魅力的ですが、チームの質に差があるため、日々の業務や成長に影響することがあります。自分がどのタイプかを理解し、外部の面接で条件を確認してから転職を決めるなど、実務的で自己責任のある方法が賢明です。

妞思の言葉
国境を越えたキャリアの探求と家庭の責任との両立の中で、
彼女は自分にとって本当に望む人生を見極めてきた。
文化の違いの中で自己を認め、職場の挑戦の中で心を鍛え、
家庭と仕事の双方で責任を果たす。
すべての人からの承認にこだわるのではなく、
自らの舵を握り続けること。
船長のように、波立つ海でも方向を見失わず、
自分と子どもたちを穏やかな未来へ導いていく。